音楽と未来の歩き方:プレイリスト時代の「自分」の見つけ方

アルバムを最後まで聴くということ

 高校生だった頃の僕にとって、娯楽と呼べるものはごく限られていた。その筆頭が、たぶん、音楽を聴くという行為だった。MDプレイヤーに詰め込んだ、お気に入りの曲たち。あれは、ある種の「個人的な箱庭」のようなものだったかもしれない。
 どこかへ行くときも、誰とも話したくない昼休みも、夜、布団の中で電気を消すときも、僕の耳はいつも音で満たされていた。それは誰にも邪魔されない、自分だけの静かな領土を作るような感覚だ。

 当時の僕らには、自由に使えるお金なんて、もちろん、たいしてなかった。だから、一曲だけのシングルをホイホイ買うなんて贅沢はできなかった。僕らが手に入れるのは、たいてい10曲くらいがまとまった「アルバム」だった。何曲もまとめて入っている、あの分厚いパッケージ。
 好きなアーティストの新しいアルバムがリリースされれば、すぐにチェックして、何度も何度もリピートして聴いたものだ。ディスクに閉じ込められた「そのとき」の空気や、自分だけのストーリーが宿った「記憶」を手に取る感覚に近い。あの頃、繰り返し聴き込んだアルバムは、いまでも僕の体の一部みたいによく鳴っている。

 さて、時代は変わった。今はサブスクリプションサービスがあって、どこでも、いつでも、聴きたい曲を瞬時に呼び出すことができる。便利すぎて、逆に「次に何を聴くか」を選ぶのが、ちょっとした重労働に思えるくらいだ。

 ストリーミングが主流の今、音楽は一曲ずつ選んでいくプレイリストが主役だという意見もある。でも、考えてもみてほしい。アーティストが何十、何百というデモの中から厳選し、緻密に設計された曲順で構成したアルバムを、君がもし途中で飛ばして聴いてしまったとしたら、それはまるで、誰かの長編小説を読んで、一番盛り上がりそうな章だけをランダムに拾い読みするようなものじゃないだろうか。ちょっとした背徳感すら覚える。いや、もしそのアルバムの作者が、たまたま、あの世でそれを眺めていたら、きっと寂しそうな顔をするに違いない、なんてね。

 アルバムという作品は、共通する感性やメッセージが込められた一つの作品なんだ。僕らの世代が大切にしていた、CDケースを開けて、ディスクを取り出し、プレイヤーにセットして、トレイが閉まるのを待つという一連の「余白と余裕」がなければ、作り手が込めた物語や重みは得られないような気がするんだ。

「私」だけの音楽を探す君の時代

 もちろん、サブスクは圧倒的に便利で、音楽を聴く手軽さではレコードやCDとは比べ物にならない。プレイリストが全盛の今、一曲単位で音楽に触れるのは当たり前になった。
 そして君たちの音楽の探し方はとても合理的だ。ビッグデータを活用したAIが君の好みに合ったアーティストを見つけてくれる時代に生まれた君たちは、「学校のみんなが聴いている音楽」ではなく、「私が好きなこのアーティスト」を求める傾向が強いらしい。 

 実際、友人からのおすすめの曲を、気が向いたら聴くけれど、「好みと合わない」とか「時間がない」といった理由で、実際には聴かない学生が6割に上ったという調査結果もある。
 これは、君たちが他人の意見に流されず、自分の感性や価値観に正直だということの表れかもしれない。自分で見つけた曲については「すぐに聴く」と答える学生が51%と高い数字を記録していることからも、「自分で見つけた」という体験が大きな影響を与えていることが伺えるね。

 音楽は今、「感情」や「経験」といった他の価値と組み合わされることで、爆発的な力を増すようになった。特に君たちは、ライブに参加する理由の一つとして、同じファンと「空間共有」したいという目的を持っている。推しの成長を見守り、チケット代だけでなくグッズ購入を通じて貢献する「お布施スタイル」も、君たちにとっては喜びであり、利他的な愉悦感を伴う動機になっているようだ。ライブという非日常体験から得る感動や、推しへの貢献を通じて得られる充足感が、君たちのモチベーションの源泉になっている。

 僕もかつてはバンドに精通していることがカッコいいと思っていたけれど、君たちはもっと直接的に、自分の感情や生きる糧と音楽を結びつけているんだね。

「居場所」と「自分らしさ」のプロデュース

 君たちが音楽を聴くとき、それは単なる娯楽ではない。自分の気持ちを変えるための「気分転換」の手段として音楽を聴く若者が、過去10年間で増加していることが分かっている。つまり、君たちは自己が求める気持ちになれる楽曲のレパートリーを明確に持っているんだ。

 また、君たちはネットワーク社会(SNSなど)に心理的に適応し、現実社会とは別の「自己同一性(キャラクター性)」を持って振る舞う傾向がある。君たちは、まるでいくつもの帽子を使い分けるように、コミュニティや相手に合わせて自分の振る舞いや態度を変えている。一つのキャラクターに固執せず、環境に応じて自己を修正し適応させる「再帰的な自己同一性」を持っていると言える。

 これは、君たちが「他者から承認され、居場所を得たい」という願望を持っている一方で、「他者から排他されたり、否定されたりすること」を強く忌避する傾向があるからだ。
 だから、君たちは無意識のうちにコミュニティの反応を予想し、自分の振る舞いを変えることが多くなる。居心地が悪くなったり、意見が合わないと感じたりすると、そのコミュニティから安易に脱却し、他の居心地の良いコミュニティへ移動する「抵抗意識の低さ」も持っている。

 これはとても現代的な生き方だ。僕らの時代には、居場所は一つ、自分らしさも一つだと信じられていたけれど、君たちの世界はもっと広くて複雑なんだ。秋田というコミュニティの中で、君自身の意見やキャラクターが受け入れられないと感じる瞬間があるかもしれない。

 でも、君が持つ「排他されることを嫌がる」という強度の忌避反応は、裏を返せば、君が「自分はここにいてもいいんだ」という安堵や居場所を切望する、前向きなエネルギーの証拠なんだ。

 君は、自分の好きな音楽を自分で選び取るように、自分の居場所を自由に選び、また移動することができる。この柔軟な適応力こそが、君の未来を形作る力になるはずだ。この秋田の地を、君が「これはいいな」と感じる要素で満たされた、君自身の特別な「プレイリスト」のような場所に変えていってほしい。

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