サラダボウルの中のCM、あるいは僕たちが広告を嫌いになった理由

 夕暮れ時に、お気に入りのレコードを聴きながら静かに本を読んでいるとしよう。物語が一番いいところに差し掛かった瞬間、誰かが部屋に土足で踏み込んできて、頼んでもいない洗剤の素晴らしさを大声でまくしたて始める。YouTubeの動画広告というのは、だいたいそんな感じの体験だと僕は思う。

 実際、データを見ても僕たちのイライラは数字に表れている。ある調査によれば、君たちZ世代の約9割が動画広告を不快に感じているそうだ。特に、動画の途中にいきなり割り込んでくる「ミッドロール広告」は、不快感の王様といってもいい。せっかくの没入感を台無しにされるのだから、8割以上の人が「不快だ」と感じるのも無理はない。

 YouTubeという場所は、かつてはもっと自由で、静かな広場のような場所だった。でも今は、いたるところに看板が立ち、歩くたびにチラシを押し付けられる賑やかすぎる商店街のようになってしまったのかもしれない。

奇妙なパラダイス

 ここで少し、面白い……というか、皮肉な話をしよう。YouTubeという会社は、企業から広告料をもらって運営している。それなのに、ユーザーに対しては「お金を払えば、その鬱陶しい広告を消してあげますよ」というサービス(YouTube Premium)を売っている。

 これは冷静に考えると、かなり不思議な構造だ。レストランに例えるなら、料理にわざと砂を混ぜておいて、「追加料金を払えば砂を抜きます」と言っているようなものだから。でも、多くの人がその「砂を抜く権利」にお金を払っている。それほどまでに、僕たちは自分の時間を邪魔されたくないと思っているのだ。

 もちろん、これには反対の意見もあるだろう。広告があるからこそ、僕たちは世界中の膨大なコンテンツを「無料」で楽しめている。それは、ある種の公平な物々交換だという考え方だ。広告主がいなければ、あのお気に入りのクリエイターも活動を続けられないかもしれない。それは一つの真理ではあるけれど、それでも「邪魔されている」という感覚を消し去ることは難しい。

「エモい」CMはどこへ消えた?

 僕が子供だった頃、テレビから流れてくるCMは、今ほど嫌われていなかった記憶がある。むしろ、学校で話題になるような面白い短編映画のような存在だった。どうして今のネット広告は、あんなに「鬱陶しい」存在になってしまったのだろう。

 理由の一つは、その「突然性」にある。テレビCMはある程度決まったタイミングで流れるけれど、YouTubeの広告は、まるで物陰から飛び出してくる猫のように不意打ちでやってくる。

 もう一つの理由は、広告が「僕たちのことを見すぎている」せいかもしれない。検索したばかりの商品が、追いかけてくるように何度も表示される。これは「パーソナライズ」と呼ばれて便利とされることもあるけれど、裏を返せば、プライバシーの境界線を土足で越えられているような、落ち着かない気持ちにさせる。

 一方で、最近の若者の間では「フューチャー・ノスタルジー」という言葉が注目されているそうだ。古いものの中に新しさを見出し、過去の感覚に癒やしを求める。昔のCMをYouTubeでわざわざ検索して見てしまうのは、そこにある種の「穏やかな距離感」や「エンタメとしての誠実さ」を感じているからかもしれない。

「しらふ」で選ぶ、これからの時間

 これからの時代、僕たちはどうやって広告と、そして情報と付き合っていけばいいのだろう。

 最近、「ソバー(Sober)」という考え方が広がっている。もともとは「お酒を飲まない、しらふの状態」を指す言葉だけれど、今は「情報に酔わされず、自分らしい選択をする」という意味でも使われている。SNSや広告の濁流に飲み込まれて、脳が疲れ果ててしまう(Brain rot)状態から抜け出し、自分にとって本当に価値のある時間を意識的に選ぶこと。それは、とても現代的な自衛手段だ。

 君たちがもし、将来何かを作る仕事に就くとしたら、この「静かなコミュニケーション」を思い出してほしい。大声で名前を呼んで振り向かせるのではなく、言葉を使わなくても心が通じ合うような、そんな「バイブス」を大切にする表現。

 実際、インフルエンサーが自分の言葉で語る広告は、従来の押し付けがましい広告よりもずっと信頼されているというデータもある。それは、そこに「嘘」や「やらせ」が少なく、血の通ったストーリーがあると感じられるからだ。

君が作る未来の景色

 世界は今、あまりにも多くの音や光で溢れすぎている。でも、だからこそ、君がこれから作り出す未来は、もっと穏やかで、誰かの邪魔をしない、優しいものにできるはずだ。

 誰かを強引に惹きつけるのではなく、ふとした瞬間に隣に座っているような、そんな心地よい距離感。それは広告に限った話ではなく、人間関係でも、仕事でも同じことがいえるだろう。

 鬱陶しいCMをスキップする指を少し止めて、考えてみてほしい。自分だったら、どんな形で世界に「自分」を届けたいか。未来は、不確実で予測できない。でも、だからこそ面白い。君が「しらふ」の頭で、誰の目も気にせずに選んだ道なら、それはきっと誰の邪魔にもならない、君だけの素敵なストーリーになるはずだ。

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