祈りとペンライトのあいだで、僕たちが考えていること

 電車に揺られながら、窓の外に流れる看板や誰かのスマホの画面を眺めていると、そこにはいつも「誰か」や「何か」を熱烈に応援している人たちの影が見える。最近ではそれを推し活と呼ぶらしい。君も、あるいは君の隣に座っている友だちも、バッグに小さなキーホルダーをぶら下げたり、夜中に配信者の声を聴きながら眠りについたりしているのかもしれない。

 僕自身は、特定の誰かを「神」と崇めて祭壇を作ったり、生活費の半分を投げ銭に充てたりするような情熱は今のところ持ち合わせていない。でも、ライブ会場でペンライトを振る人たちの、あのどこか遠くを見つめるような、それでいて確かな熱を孕んだ瞳を見ていると、ふと思うことがある。これって、昔の人が神さまを信じていたあの感覚と、実は地続きなんじゃないだろうか、と。

神さまとアイドルの不思議な共通点

 かつて人々は、村の神社や町の教会に集まり、目に見えない大きな存在に祈りを捧げていた。そこには「自分は独りではない」という確かな安心感があったはずだ。けれど現代において、伝統的な宗教という屋根は少しずつ古びて、そこから雨漏りがし始めている。その代わりに、僕たちの目の前に現れたのが「推し」という新しい光だったのかもしれない。

 面白いことに、推し活の世界では驚くほど多くの宗教用語が使われている。推しのグッズを並べる場所は「祭壇」と呼ばれ、作品の舞台を訪ねることは「聖地巡礼」と呼ばれる。魅力を広めるのは「布教」だし、投げ銭は「お布施」と言い換えられたりもする。

 ある調査によると、日本の推し活人口は約1400万人、つまり日本人の10人に1人以上が、何らかの形で推しにエネルギーを注いでいるという推計もあるそうだ。18歳から29歳の若者に限れば、半数以上の55パーセントに「推しがいる」というデータまである。もし君が誰かを推しているとしたら、それはある意味で、現代における「ソフトな宗教」に参加しているようなものかもしれない。

 イニシエーション(入信儀礼)はただ「好き」になること。そこには難しい経典はないけれど、SNSという名の「毎日更新される聖書」が、君のアイデンティティを形作っているんだ。

心の拠り所が引っ越しただけ

 社会学者の人たちは、こういう現象を「世俗化」の果てに現れたものだと分析している。かつて宗教が担っていた「人生の意味づけ」や「コミュニティ」という役割が、エンターテインメントや推し活へと、ゆっくりと、でも確実に引っ越しをしているというわけだ。

 家族や地域といった、かつての「自分を包み込んでくれる器」が少しずつ機能を失っていく中で、僕たちは孤独にならないための新しい場所を必要としていた。推しを応援し、同じ推しを持つ仲間とSNSでつながる。18歳から24歳の若者の5割以上が「推し活は自分のアイデンティティ形成に大きく影響している」と感じているのも、そこが自分の心にとっての「新しい家」になっているからだろう。

 だからといって、伝統的な宗教が明日にも消えてなくなるわけではないと思う。むしろ、アニメの聖地としてお寺や神社が再発見されることもある。僕たちが誰かを尊いと思うとき、そこには理屈を超えた「聖なる価値」が生まれている。それは、形を変えて生き続ける僕たちの信仰心のようなものかもしれない。

「推し」という名のコンパスを持って

 ここからは少しだけ、将来の話をしてみよう。君が今、誰かを熱心に推しているとしたら、それは単なる趣味以上の「武器」になることがある。

 最近では「推し活採用」という面接を行う企業まで現れている。自分が何に熱狂し、どうしてそれを愛しているのかを言葉にできる力は、ビジネスの世界でも「らしさ」を引き出す大事な要素だと考えられ始めているんだ。大学受験でも、推し活を通じて深めた知識や探究心を「志望理由」に繋げて、難関校に合格した先輩たちがいる。

 自分が一番ワクワクするものを「推し科目」と呼んで、そこから進路を逆算していく。そんな生き方が、これからはもっと当たり前になっていくかもしれない。偏差値というモノサシではなく、自分の「熱量」というコンパスで未来を選ぶ。それは、案外悪くない選択だと僕は思う。

適度な距離と、自分という軸

 もちろん、光が強ければ影も濃くなる。推しにのめり込みすぎて、生活が立ち行かなくなったり、自分の幸せが推しの動向に100パーセント依存してしまったりするのは、少しだけ危険なサインかもしれない。

 お布施(課金)が行き過ぎて金欠になり、自分のための食費を削ってしまう。あるいは、推しがいなくなった瞬間に、自分まで消えてしまうような喪失感に襲われる。そんなリスクも確かに存在している。ある統計では、18歳から29歳の約3割が「推し活で金銭的に困ったことがある」と答えているそうだ。

 もし君がそんな迷いの中にいるなら、古くからの知恵を借りて「多神教」的に生きてみるのはどうだろう。一つだけの絶対的な神さまに人生を預けるのではなく、いくつかの好きなものを持ち、それぞれとゆるやかに付き合っていく。推しは君の人生を照らす光ではあるけれど、君の人生そのものではないのだから。

朝が来て、また新しい一日が始まる。

 推し活という名の新しい祈りは、僕たちの暮らしを少しだけ明るく、そして賑やかにしてくれる。それはかつての宗教がそうであったように、僕たちがこの不確かな世界を生き抜くための、一つのサバイバル戦略なのかもしれない。

 君が振るそのペンライトの光が、大好きな誰かのステージを輝かせるだけでなく、君自身の進むべき未来をも柔らかく照らしてくれることを、僕は願っている。

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