街角で、静かに呼吸を取り戻すということ

もしも、世界がふいに沈黙したとしたら、君はそこで何をするだろうか。
僕たちが暮らすこの秋田の街で、時折、とても個人的な、それでいて宇宙的な問いが浮かび上がることがある。
それは、ある日突然、目の前で誰かが倒れてしまったとしたら、僕たちの体は、まるで訓練されたピアニストの指のように、正確に動いてくれるのだろうか、という疑問だ。
助けを呼ぶ、あの気恥ずかしい呪文
君は、AED(自動体外式除細動器)の使い方を把握しているだろうか。
僕が初めて、あの救命の機材について具体的な手順を習ったのは、確か、車の運転免許を取ろうと教習所に通っていた、ごく普通の日だった 。
応急手当の講習というものがカリキュラムに組み込まれていて、ダミー人形相手に心肺蘇生を練習する 。そこでまず教わるのが、倒れている人を見つけたら、まず大声で「誰か来てください!人が倒れています!」と助けを求めることだ。
正直に言うと、それが妙に気恥ずかしかったことを、今でも鮮明に覚えている 。公共の場所で、あるいは静かな教室の中で、突然そんな切羽詰まった大声を出すのは、まるで自分の心の平静さが試されているようで、居心地が悪かったんだ 。
でも、僕たちはいつ、どこで突然の怪我や病気に襲われるか予測ができない。特に心臓や呼吸が止まってしまった場合、そばに居合わせた僕たち一般市民の救命処置が、その人の生命を左右するほど重要になる。
もし、僕たちがやるべき手順(通報、呼吸の確認、心臓マッサージ、AED)を頭の中で把握できていれば、あの切迫した状況でも、わずかながら冷静さを保つことができるかもしれない 。それは誰かを救うだけでなく、パニックに陥らない自分自身を守ることにも繋がる、一種の自己防衛術なんだ 。
もちろん、躊躇(ためらい)の気持ちも理解できる。例えば、倒れた相手が女性だった場合、AEDを使うことで、後からセクハラなどで訴訟を起こされるかもしれない、なんていう都市伝説めいた不安が頭をよぎることもあるかもしれない 。
そうした奇妙なリスクが、僕たちの行動を鈍らせる壁になる。でも、特別な資格がなくても、誰にでも応急手当を行うことができる、という事実 だけは、心の引き出しの奥にそっとしまっておいてほしい。
100回のテンポと、命の連鎖
さて、もし君が勇気を出して助けを求めた後、協力者が来てくれたら、その人に119番通報と、近くにAEDがあれば持ってきてもらうよう依頼する。大声を出しても誰も来ない静かな場所なら、君自身が通報し、AEDを取りに行かなければならない。
次に必要なのは、呼吸の確認だ。倒れている人のそばに座って、胸やお腹の動きを見て、普段どおりの呼吸をしているかどうかを10秒以内で判断する。もし動きがない、あるいはしゃくりあげるような途切れ途切れの呼吸(死戦期呼吸というらしい)が見られたら、「普段どおりの呼吸なし」と判断し、すぐに胸骨圧迫を開始する。
ここからが、肉体的な踏ん張りどころだ。
胸の真ん中を両手で重ねて、「強く、速く、絶え間なく」圧迫する。そのテンポは、1分間に少なくとも100回。これは、頭の中で軽快なロックのリズムでも流していないと、きっと途中で乱れてしまうような速さだ。30回連続で圧迫したら、人工呼吸を2回吹き込む(30:2のサイクル)。これを救急隊に引き継ぐまで、文字通り「絶え間なく」続けなければならない。胸骨圧迫は体力が必要だと、講習を受けた生徒たちも実感しているようだ。
そして、もしAEDが届いたら、電源を入れて、機械から聞こえてくる音声ガイダンスに従ってパッドを貼り付け、操作を行う。AEDのメッセージは非常にわかりやすいから、僕たちでもスムーズに救命処置ができるはずだ。
この一連の流れは、「救命の連鎖」と呼ばれていて、突然心臓が止まってしまった人にとっては、この連鎖が途切れるかどうかが、その後の人生を決定づけてしまうのだ。
90分間の「心のフタ」を開ける講習会
そうは言っても、急に「100回のテンポで胸を押せ」と言われても、すぐにできるものではない。僕たちは練習が必要なのだ。まるで、うまく文章を書くために、何度もキーボードを叩く練習をするように。
秋田市では、この「いざという時」のために、様々な救命講習会を無料で開催している。本格的に学びたいのであれば、心肺蘇生やAED、止血法などを学ぶ「普通救命講習」(180分または240分)がある。これは全国統一規格の修了証がもらえる。
でも、僕が君たちに特に勧めたいのは、90分の「救命入門コース」だ。忙しい君でも、コーヒーを淹れて一息つくくらいの感覚で、胸骨圧迫とAEDの使い方を集中して学ぶことができる。
講習では、DVDを使った学習と、簡易蘇生訓練キットというトレーニングツールを使って実技を行う。実際にやってみた中学生たちは、最初「心肺蘇生法には興味がなかった」と言っていたのに、授業で詳しく知ることができてよかったと感じたり、「AEDはできそうだけど、あまりやる気はない」という冷めた態度から、「必要な時であれば絶対にやる」という意識に変わったりしている。
つまり、90分という短い時間で、君の心の中で「無関心」という名のフタが開いて、「勇気」という、ちょっとばかり強靭な何かが流れ込み始めるのだ。
救命のスキルは、取得したら終わり、というわけではない。この技術も、おおむね2年ごとに講習を受けて、メンテナンスすることが推奨されている。それはつまり、僕たちが秋田の街で生きる限り、ずっと持ち続けるべき「地域の共同作業スキル」なんだ。
君の冷静さが、秋田の風景を変える
秋田市内の公共施設にはAEDの設置が進んでいるけれど、必ずしも君が遭遇した現場に、その機械が近くにあるとは限らない。だからこそ、AEDの使い方だけでなく、心肺蘇生法そのものも身につけておくことが大切になる。
応急手当を学ぶことは、僕たちが日頃から身につけておくべき、地味だが決定的なスキルだ。君が「もしも」の時に一歩踏み出すことができれば、その人の命は救われ、その人はまた秋田の街で、君と同じように生き、働き、笑い、そして未来を築いていくことになる。
誰かの命を守ることは、そのまま、僕たちが共有するこの秋田の風景を守ることと、静かに繋がっている。
もちろん、「自分には無理だ」「消防隊に任せるべきだ」という反対意見もあるだろう。それはそれで、一つの正直な答えだ。でも、知識を持つことで、僕たちはただ傍観するのではなく、「できる範囲で最善を尽くす」という選択肢を手にすることができる。そして、この「できる範囲」こそが、君の未来を、そしてこの街の未来を、ほんの少しだけ明るく、そして穏やかなものに変えていく力になるのだ。
まずは、近くの消防署に電話をして、90分のコースに申し込んでみる。君のその小さな一歩が、秋田の長い午後の風景の中で、誰かの命の鼓動を取り戻す、静かなきっかけになるかもしれない。

