伝説のデパート「木内」:輝きと静寂、そして未来への問い

手元に木内百貨店の写真がなかったので、Aiに画像をつくってもらったら、こんな感じに生成されました。

 

 僕は社会人になってから秋田に暮らすようになった 。四十代も半ばに差し掛かると、地元のご高齢の方々と話す機会が増えてくるんだけど、彼らが「木内」という言葉を口にするときの瞳の輝きは、特別なんだ 。
 今の君たちにとって、秋田駅から歩いて十分ほどの広小路に、ひっそりとシャッターを下ろしたままの、あの白い建物が何なのか、正直、想像もつかないかもしれない。ネオンサインだけが夜空にぼうっと灯る、ちょっと変わった古いビル、そんな風に見えているだろう。
 でも、あの場所には、秋田の過去の栄光と、そして未来への大きな問いかけが、まるで琥珀の中に閉じ込められた虫のように、静かに眠っているんだ。

エスカレーターガールのいた「夢の国」

 ご高齢の方々の思い出話を聞くと、木内百貨店というのは、ただの店じゃなかった。例えるなら、秋田県民にとっての「夢の国」であり、「ハレの日」におめかしをして出かける特別な場所だったんだ。彼らはこの店を「秋田の三越」と呼んだらしい。
 創業は明治22年(1889年)。久保田藩士の家柄だった木内俊茂さんが開いた呉服店がその始まりだ。昭和40年代から50年代にかけての全盛期には、従業員約400人で、年間130億円という売上を記録し、ライバルだった本金デパートの数倍を誇っていた。その影響力はまさに秋田随一だったんだ。
 建物は1955年頃に増築され、1957年には県内初のエスカレーターを設置したことで大いに話題になった。そして、そのエスカレーターの脇には、「エスカレーターにのって楽しいお買い物」を謳い文句に、「エスカレーターガール」までいた。高校を卒業して木内に就職し、二十歳そこそこで寿退社するのが、当時の女性の「ゴールデンコース」だったというから、想像するだけで華やかだ。
 3階には展望台や大食堂。屋上には観覧車まである「屋上お子様遊技場」があり、全県から買い物客を集めた。店内では、テナントに頼らず、木内自身が商品を仕入れ、自社の従業員が販売するという本来の百貨店のスタイルを維持していたんだ。
 そして、伝説的な「おもてなし」がある。それは、消費税を客から取らない(内税扱いだった)という話と、買い物をするとお釣りがすべて折り目のない「ピン札」(時には連番)で返ってくるという逸話だ。

週休3日、夕方5時閉店のロマンと現実

 でも、時代は容赦ないんだ。
 1970年代以降、車が生活必需品になる「モータリゼーション」が進み、秋田駅前のような中心市街地の集客力は徐々に衰え、郊外型の大型ショッピングセンターが次々と現れた。
 木内は、時代の変化に抗うように、徐々にその身を縮めていった。1990年には日本百貨店協会から脱退し、売り場は段階的に閉鎖された。1992年秋には、好調だった食品売場まで廃止し、衣料品売場に転換したんだ。これにより、売り場面積は半分に縮小した。1995年以降はついに1階の衣料品売場のみで営業を続けることになった。
 そして営業スタイルも独特になった。営業時間は午前10時から午後5時まで。さらに、定休日は木曜だったのが、いつしか水曜・木曜に加え、日曜日までも休みという週休3日制になった。これは、「いつ行っても同じ従業員がいる安心感」を理由にシフト制を採用しなかった結果だという。
 この縮小時代、木内は取材を頑なに拒否し、閉鎖性を強めていったんだ。しかし、この経営状態の中でも、木内は無借金で黒字を維持していたという噂もある。

ネオンは灯るが、誰も入れない秘密

 そして2020年3月頃、新型コロナウイルスの流行拡大によって、木内百貨店は「当面の間 臨時休業させていただきます」という貼り紙と共に、シャッターを下ろしてしまった。驚くべきは、それから5年以上(2025年現在)経った今も、会社としては存続し、再開も閉店もしない、という宙ぶらりんな状態を維持していることだ。
 この休業中のデパートには、いくつかの「不思議な噂」があるんだ。まず、夜になると、建物の看板のネオンが煌々と灯る。さらに、隣接する専用駐車場は閉鎖されているのに、定期的に草抜きや手入れがされているという。そして、建物の裏手にある警備室では、蛍光灯に灯りがついていて、なんとカレンダーが毎月めくられていることが確認されているんだ。警備員が常駐しているという情報もある。
 また、この休業状態にもかかわらず、社員の社会保険喪失手続きがされていない人が9人いるという情報もあり、「給料が支払われているのでは?」という噂もある。もしそれが本当なら、会社にはよほど豊富な外部資産があるのだろうね。この謎めいた沈黙は、地元にとって無視できない問題になっている。秋田市中心市街地の一等地にあるのに、市役所ですら長らく「なかなかコンタクトを取れる人がいない」状態だった。
 2025年6月になって、沼谷市長が現在の代表者である木内信子社長と複数回意見交換したことが明らかになった。市長は「信頼構築に努める」意向を示したが、社長は秋田放送の取材に対し、「市には協力しない」と伝え、「休業中であること以外に語ることはありません」とコメントしているらしい。

沈黙の一等地が君に問いかけるもの

 さて、君に考えてほしいのは、この「木内の沈黙」が秋田の未来にどう影響するか、ということだ。
 木内百貨店は、久保田藩士の家柄にルーツを持ち、二代目社長の木内トモさんが「士魂商才」を掲げて地域の商業の中心を築き、陰徳を積んで学生を支援したという美談も残っている。この店は、単なる商売を超えた「地域の誇り」の象徴だった。
 しかし、今、あの広小路の一等地がシャッターを下ろしたまま存在し続けていることは、秋田市が進める中心市街地活性化の大きな課題となっている。中心市街地活性化協議会では、木内がイベント時に駐車場の貸し出しを拒否している現状について「デメリットが多い」という意見も出ていた。
 もちろん、僕たちは土地の所有者の意思を尊重すべきだ。けれど、木内のような歴史ある建物や土地が動かないことが、中心市街地活性化の大きな障害になっている、という反対意見もある。地元商店街の関係者からは、「何とかしろ」と言うのではなく、木内側が関心を示すような「芸術文化」や「昭和の時代」をテーマにした提案型の取り組みを行政が示すことが、対話の鍵になるのではないか、という前向きな意見も出ている。
 君たち若者は、雇用や賃金水準の課題を抱えながら、秋田が「コンパクトシティ」を目指し、ミルハスのような文化施設を核に賑わいを取り戻そうと頑張っている時代にいる。あの木内の建物は、秋田の過去の最高の「ハレ」の記憶を宿している。もし君たちが、あの沈黙の一等地を、新しい秋田の未来に繋げる鍵だと考えるなら、どうするだろう?
 それは、単に「店を開ける」という話ではないのかもしれない。木内が持っていた「上質な文化」や「地域の矜持」を、現代の君たちの感性でどう解釈し、未来の秋田の姿に活かしていくのか。静かにネオンを灯し続けるあの建物は、今の君たちの想像力と行動力を試している、未来への装置なのかもしれないね。

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