高校の道徳、大人になったら忘れてしまう大切な話

僕が小学生の頃、道徳の時間といえば、決まってあのNHKの「さわやか3組」という教育番組だった。15分くらいの映像を見て、「正直は大切だ」「友達を大事にしよう」と話し合う。あれはあれで純粋な時間だったけれど、高校に入ると「道徳」という科目は影をひそめてしまう。
高校では、道徳は特定の授業ではなく、学校の教育活動全体を通して行われる「生き方に関する教育」になるそうだ。公民科やホームルーム活動(LHR)、あるいは数学の授業で論理的に考える力(判断力)を養うこと、そのすべてが道徳性を養う土台になっている。僕も高校時代を振り返ってみたけど、まさか数学で「公正・公平」な態度が育まれていたなんて、当時は夢にも思わなかったよ。
先生も答えを教えてくれない授業
高校の道徳教育が目指しているのは、君が自立した人間として他者と共によりよく生きるための道徳性を養うことだ。そのためには、中学生までに学んだ道徳的価値の理解を土台にしつつ、生徒自身が「自分自身に固有の選択基準・判断基準を形成していく」必要がある。
ここで難しいのが、「正解は一つではない」という点だ。
教師が一方的に「こうあるべき」と価値観を押し付けたり、過去の偉人の思想を紹介するだけでは不十分だとされている。だから、授業では「モラルジレンマ」という、どちらを選んでも何らかの価値が犠牲になるような、答えのない問題が使われる。
例えば、人命救助のために法を犯す主人公の映画(『ジョンQ』など)を見て、「君ならどうする?」と問われる。自分の判断をまず「第1次判断」として決定し、その理由をワークシートに記述する。それから少人数グループで議論し、他者の意見や多様な価値観に触れた上で、もう一度自分の意見を見直す「第2次判断」を行う。この対話のプロセスこそが、君の道徳性を高めていく。
答えのない問題に悩み、葛藤した上で下した君の判断は、将来、社会に出て仕事をする上でも不可欠な「課題解決能力」、つまり、意思決定に伴う責任を受け入れ、問題解決に取り組む能力 の基礎になるんだ。大人になっても、誰も君の人生の正解は教えてくれないから、自分で基準を作る必要があるわけだ。ちょっと大変だけど、それだけ君の人生が面白くなる種だと思うんだ。
見えない場所での「プライバシーの重さ」
今の高校生が直面する大きな道徳的な課題の一つが、インターネット上のコミュニケーションだ。
SNSいじめ(ネットいじめ)は、不特定多数からの誹謗・中傷が短期間で集中的に行われるため、被害が極めて深刻になりやすいという問題点がある。特に気をつけてほしいのは、プライバシーの問題だ。たとえば、君が「A君はいつも〇〇通って帰っている」といった個人情報をSNSに書き込んだとする。それは嘘ではない、本当のことだ。だが、この行為は、私生活上の情報をみだりに公開されない「プライバシーの権利」(憲法13条の「個人の尊重」から導かれる)を侵害していると見なされる。たとえ事実であっても、この種のプライバシー侵害行為は、刑罰の対象とならなくても、被害者からの訴えで民事の損害賠償の対象となることがあるんだ。
現実世界では「ちょっとした悪口」で済んでいたことが、ネット上では「社会的責任」と「法律的なリスク」に直結する。君たちが秋田で、様々な人(高齢者や障害のある人、地域の人々)とともに暮らしていくためには、互いの違いを認め、相手の痛みや感情を共感的に理解できる想像力や感受性が必要だ。それは、見えないインターネットの向こう側にいる人の生活上の事実にも、敬意を払うことで育まれていく。
君の判断が未来を創る
高校で身につけるべき道徳性は、知識というより「技能」に近いのかもしれない。能動的に傾聴する技能、対立する問題を非暴力的に解決する技能、そして複数の情報源を吟味し、公平な結論に到達する技能だ。
これらの技能は、君が秋田の未来をどう作るか、という大きな問いに取り組む際の基盤となる。難しい時代だからこそ、僕らは君に一方的に教え込むことはできない。僕にできるのは、「自分で考えてみよう。反対意見ももちろんあるよ」と伝えることだけだ。君たちが、正解のないモラルジレンマに立ち向かい、デジタル空間での振る舞いに責任を持つこと。その一つ一つの判断が、君自身の生き方を形づくり、秋田という地域に活気を与えていくエネルギーになるはずだ。

