秋田の未来を考えるための、ささやかな道具箱について

 

 46歳にもなると、世の中にはちょっとした驚きが、道端の石ころみたいに転がっているものだ。このあいだ、「今どきの大学生はレポートをスマートフォンで書くこともある」と聞いた。誰かが悪戯で言っているわけじゃなく、ごく真面目な顔でそう言うんだ。
 僕らの世代にとって、レポートというのはつまり、パソコンと格闘することと同義だった。夜中にうんうん唸りながらキーボードを叩き、何度も紙に印刷しては、インクの匂いがするそれを眺めてため息をつく。そういう一連の儀式みたいなものだったからね。
 もちろん、だからといって昔が良かったなんて言うつもりはない。時代は流れるし、テクノロジーは進化する。かくいう僕だって、今こうして書いている文章の下書きは、iPhoneにぼそぼそと話しかけて作っている。空中に放った言葉が、いつの間にか文字になっているなんて、考えてみればずいぶん不思議な話だ。便利なものだよね。
 そこでふと疑問に思う。君たちは、あの小さな画面でレポートを書くとき、音声入力を使ったりするんだろうか。それとも、親指でこつこつと、まるで小さな木の実を割るみたいにフリック入力を続けているんだろうか。

スマホとパソコンの間の、静かで深い溝

 君たちの世代は「デジタルネイティブ」と呼ばれる。生まれた時からインターネットがすぐそばにあって、世界は指先でどこまでも広がっていた。それなのに、大学に入った新入生のうち半数以上が、パソコンのスキルに自信がないまま大学生活を始める、という奇妙な調査結果がある。スマートフォンは身体の一部みたいに使いこなせるのに、どうしてだろう?
 思うに、スマートフォンとパソコンでは、できることの「質」が少しばかり、しかし決定的に違う。レコードで音楽を聴くのと、ストリーミングで聴くのが違うようにね。どちらも同じ音楽であることに変わりはないけれど、そこに至るまでのプロセスや身体の使い方がまるで違う。
 ほとんどの学生がスマートフォンと、そしてノートパソコンを持っている。持ってはいるんだ。でも、彼らがタイピングする様子を眺めていると、ほとんどがキーボードと「にらめっこ」している。これでは、長い文章を組み立てるのはなかなか骨が折れるだろう。
 僕だって社会人になる直前に必死で練習したクチだから、その気持ちはよくわかる。でも、たとえば50ページ、100ページに及ぶ卒業論文を、スマートフォンだけで書き上げることを想像してみてほしい。ページ番号を振ったり、図版を差し込んだり、段落の体裁を整えたり。そういう細かい作業は、小さな画面と指先だけでは、まるで出口のない森を彷徨うような気分にさせられる。
 実際に、卒論をスマホで書いていたら、途中でワードの書式がめちゃくちゃに壊れてしまい、結局友人のパソコンを借りて泣きながら直した、なんていう半ば伝説のような話も耳にしたことがある。大学では、パワーポイントやエクセルといったソフトを、高校時代とは比べ物にならないくらい深く使うことになる。LINEで連絡を取り合ったり、情報をさっと検索したりするのとは、少し違う種類の思考と技術が求められるんだ。

「パソコンがなくても平気だ」という考えについて

 「別に事務職に就くわけじゃないし、パソコンなんていらないんじゃないか」と考える人がいるかもしれない。とりわけ、ここ秋田で、体を動かす仕事に就きたいなら、なおさらそう思うかもしれないね。ショップの店員、介護の仕事、飲食店のスタッフ、工場の作業員。確かに、一日中パソコンの画面と向き合わなくてもいい仕事はたくさんある。それもひとつの、そしてとても真っ当な生き方だ。
 すべての仕事にパソコンが必須だ、なんて言うつもりは毛頭ない。でも、もし君が、将来もう少しだけ選択肢を増やしたいとか、キャリアの階段を一段登ってみたいとか、あるいは今とは違う世界を覗いてみたい、と考える時が来たとしたら、そのときデジタルスキルは、一組の丈夫な靴みたいに君の助けになってくれるはずだ。

君の未来と、自律的な学びの話

 秋田の未来がどうなるかなんて、僕にはわからない。誰にもわからないだろう。でも、ひとつだけ確かなことがあるとすれば、それは君たち一人ひとりが持つ「学ぶ力」が、その行方を左右するということだ。
 最近の企業や社会では、「自律的な学び」という言葉がよく使われる。誰かに「これを学びなさい」と言われるから学ぶのではなく、自分自身の好奇心や、自分はこうありたいという静かな意志に基づいて、能動的に学ぶことだ。まるで、誰に言われるでもなく毎朝ジョギングに出かける人のように。
 もちろん、新しいことを学ぶには時間がかかる。それが一番の壁だ。だから社会も、働き方を変えることで、君たちが学びやすいように少しずつ道筋を整えようとしている。
 大事なのは、デジタルツールを、ただ時間を「消費」するための窓としてではなく、何かを「生産」するための道具として捉え直してみることだ。もし今、パソコンが苦手だと感じていても、まったく問題はない。 
 だって、大学に入った半分以上の仲間が、同じように不安を抱えているのだから。そこで足を止める必要はない。フォルダの作り方や、タイピングの練習といった、一見地味で退屈な作業が、数年後の君の時間を、そして可能性を、大きく広げてくれるかもしれない。
 君たちが手にした道具箱を使って、自律的に学び、何か新しいものを生み出そうとするとき、それはきっと、秋田の、そして日本の風景を、ほんの少しだけ変えることになるだろう。君たちのささやかな挑戦が、僕たちの未来のどこかに繋がっている。僕は、ただそう信じている。

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