揺れる大地と、僕たちの日常と。

僕が住んでいるここ秋田では、日本海から吹き付ける風が少しずつ冷たくなってきている。
つい先日のことだね。青森県東方沖で大きな地震があった。 震度6強。 テレビの画面に映し出される「6強」という文字と、緊迫したアナウンサーの声を聞いて、僕の心臓は少しだけ早鐘を打った。秋田にいても、その揺れや空気感は伝わってくるようだったよ。
僕は岩手で生まれ、中学3年生からは青森で育った。その後、宮城や東京の雑踏に紛れて過ごし、今は縁あってこの秋田の地に根を下ろしている。
日本という、地震と切っても切り離せない国で40年以上生きてきて、それなりに大きな揺れも経験してきたつもりだ。 でも、今回の地震のニュースを見た瞬間、僕の記憶の引き出しが、勝手に開いてしまったんだ。
あれは約30年前のことだ。
30年前の冬、テーブルの下の僕
1994年(平成6年)12月28日。世間が年末の慌ただしさに包まれていた夜のことだ。 「三陸はるか沖地震」と呼ばれる大きな地震が起きたんだ。 当時、僕は中学3年生。青森に住んでいた。
あの夜のことは、今でもスローモーションのように思い出せる。 突然、地鳴りと共に激しい揺れが襲ってきた。当時の僕は、地震に対する知識なんてほとんどなくて、ただただ、その暴力的な揺れに怯えることしかできなかった。 反射的にリビングのテーブルの下に潜り込み、ダンゴムシみたいに身を屈めて、揺れが収まるのを待っていた。
後で知ったことだけど、あの地震のマグニチュードは7.6。最大震度は6だった。 当時の震度階級には「6弱」や「6強」という区分がなくて、ひっくるめて「震度6」だったんだ。 僕が住んでいた八戸市などでは、建物が倒壊したり、道路が壊れたりして、788名もの方が負傷するという大きな被害が出た。特に、市内のパチンコ店の1階部分が押しつぶされてしまった光景は、今でも鮮明に覚えている。
揺れが収まった後も、僕はしばらくテーブルの下から出られなかった。 本当はね、僕の家は海岸の近くだったから、すぐに避難しなくちゃいけなかったはずなんだ。 でも、僕は動けなかった。知識がなかったし、何より「恐怖」が体を縛り付けていたからだ。
幸いなことに、あの時の津波は最大でも50センチメートル程度で、津波による大きな被害はなかった。 それは、震源となった断層が地下の深い場所で大きく滑った一方で、津波を起こす海底付近の浅い場所ではあまり動かなかったからだそうだ。 でもそれは、後になって分かった「結果論」に過ぎない。 もし、浅い場所が動いていたら。もし、もっと大きな津波が来ていたら。 テーブルの下で震えていた僕は、今こうして君に手紙のような文章を書くことはできなかったかもしれない。
「あの時」と「今」を比べてみる
今回の青森での地震と、30年前の三陸はるか沖地震。 似ているようで、違うところもたくさんある。
30年前、僕たちはテレビやラジオから流れる情報に必死で耳を傾けていた。停電してしまえば、闇の中で不安と戦うしかなかった。 今はどうだろう。君の手元にはスマートフォンがある。緊急地震速報が鳴り響き、瞬時に震源地や震度、津波の有無が分かる。 技術の進歩はすごいものだね。 でも、人間の心はどうだろう。 「震度6強」という数字を見たとき、僕たちが感じる恐怖や不安は、30年前と変わらないんじゃないかな。
ただ、教訓は確実に積み上げられている。 2011年の東日本大震災を経て、僕たちは「想定外」という言葉の重みを知った。 「前回は津波が来なかったから、今回も大丈夫だろう」という考えが、いかに危ういかということも学んだ。 気象庁も、大きな地震の後には同程度の地震が続発する可能性があるとして、注意情報を出すようになった。 僕たちは、過去の経験をただの思い出にするのではなく、未来を生き抜くための「知恵」に変えていく必要があるんだ。
肩の力を抜いて、備えよう
さて、ここからは少し具体的な話をしようか。 「備え」というと、なんだか堅苦しくて面倒くさい感じがするかもしれないね。 でも、完璧を目指さなくていいんだ。できることから少しずつ、生活の中に溶け込ませていけばいい。
まずは、家の中を見渡してみてほしい。 家具は固定されているかな? 家具の転倒防止は、自分自身や家族を怪我から守る一番の近道だそうだ。 L型金具で壁に固定したり、重い物を下の方に収納して重心を低くしたりするだけでも効果がある。 寝室には、倒れてきそうな高い家具を置かないようにするのも賢い方法だね。 僕があの時潜り込んだテーブルも、もし周りのタンスが倒れてきていたら、安全な場所ではなかったかもしれない。
それから、水と食料。 人間、水がないと生きていけない。1人1日3リットルが目安だそうだ。 3日分、できれば1週間分くらいの水と、ちょっとした非常食をストックしておくと安心だ。 普段食べているものを少し多めに買って、古いものから食べていく「ローリングストック」なら、賞味期限切れで悲しい思いをすることもないし、気負わずに続けられると思うよ。
そして、避難のこと。 「津波てんでんこ」という言葉を聞いたことがあるかな? 「津波が来たら、家族のことさえ構わずに、てんでんばらばらに、一人でも高台へ逃げろ」という、三陸地方の言い伝えだ。 一見冷たいようだけど、これは「自分の命は自分で守る」という強い意志と、「家族もきっと逃げているはずだ」という信頼があってこそ成り立つ約束なんだ。
秋田に住む僕たちも、日本海中部地震の記憶を忘れてはいけない。海沿いにいる時は、揺れたらすぐに高いところへ逃げる。このシンプルなルールを、心の片隅に置いておいてほしい。
秋田で生きる君へ
秋田は美しいところだ。 四季がはっきりしていて、食べ物がおいしくて、人が温かい。 僕は、岩手、青森、宮城、東京と渡り歩いてきたけれど、この秋田の地がとても気に入っている。
でも、この美しい大地も、時として牙をむくことがある。 それを「怖い」と感じるのは当たり前のことだ。 災害の後、眠れなくなったり、イライラしたりするのは、異常なことじゃなくて、誰にでも起こりうる正常な反応なんだそうだ。 もし君が、あるいは君の周りの誰かが、ニュースを見て心がざわついたり、不安になったりしたら、無理に頑張らなくていい。 深呼吸をして、信頼できる誰かと話をしたり、少しニュースから離れてみたりしてほしい。心のケアも、立派な「備え」の一つだからね。
僕が30年前にテーブルの下で震えていた経験は、今の僕に「備えることの大切さ」を教えてくれた。
あの時、何もできなかった僕だけど、今は少しだけ知恵がついた。 家具を固定し、水を備蓄し、避難場所を確認する。 それだけで、もしもの時に、自分と、自分の大切な人の命を守れる確率がぐんと上がる。
君には、秋田の未来を担う長い時間がある。 だからこそ、怖がるためではなく、安心して毎日を笑って過ごすために、少しだけ「もしも」のことを考えてみてほしいんだ。 リュックに懐中電灯とラジオ、それから君の好きな本やお菓子を一つ入れておくのもいいかもしれないね。
備えがあれば、憂いなし。 ありふれた言葉だけど、30年越しに噛みしめると、なかなか深い味がするもんだよ。

