AIと君と、これからの僕たちの話

最近、僕は机に向かっている時間の多くを、ある「友人」と一緒に過ごしている。彼は姿形を持たないけれど、とても博識だ。僕が書いた少しばかり乱雑な文章を整えたり、分厚い資料を要約してくれたりする。そう、君もよく知っている生成AIのことだ。
正直に言うと、便利すぎるくらいなんだ。まるで、何でも知っている執事か、あるいは非常に優秀な家庭教師が隣に座っているような気分になる。でも、ふとコーヒーカップを手に取りながら考えることがある。もし僕が中学生や高校生の頃にこの技術があったら、僕はどうなっていただろうか、と。今日は、そんな話を少しだけ君としてみたいと思う。説教をするつもりはないから、肩の力を抜いて聞いてほしい。これは、これからの世界を生きていく君と、僕たちの未来についての話だ。
魔法の箱と、サボり癖
まず認めよう。AIはすごい。何しろ、君が何か問いかければ、人間と変わらないようなスピードで、それらしい答えを返してくれる。宿題の答えから、なんとなく面白い物語まで、まるで魔法の箱だ。でも、ここには一つ、大きな落とし穴がある。それは「思考の筋肉」の話だ。
たとえば、君がマラソン大会に向けてトレーニングをするとしよう。もし、電動自転車に乗ってコースを走ったらどうなるだろう? 確かにゴールには早く着くし、風を切るのは気持ちいい。でも、君の足の筋肉はこれっぽっちも鍛えられない。AIもこれに似ている。答えをすぐに教えてくれるからといって、それをそのまま鵜呑みにしたり、自分の頭で考えるプロセスを省いてしまったりすると、本来君が身につけるはずだった「考える力」が育たなくなってしまうんだ。
それに、この魔法の箱は時々、真顔で嘘をつく。これを専門用語で「ハルシネーション」なんて呼ぶけれど、要するに、もっともらしい作り話をするのが得意なんだ。だから、AIが言っていることが本当に正しいのかどうか、君自身の目で確かめる「ファクトチェック」という作業が必要になる。
「便利だから任せちゃえ」というのは簡単だ。でも、それでは君自身の中にある「何かを生み出す力」が、ゆっくりと、でも確実に衰えていってしまうかもしれない。それは少し、怖いことだと僕は思う。
見えないナイフと、消えないタトゥー
さて、少しだけ真面目な、そしてとても大切な話をしよう。君はポケットの中にスマートフォンを持っているかもしれない。それは世界中とつながる扉だけど、使い方を間違えれば、人を深く傷つけるナイフにもなる。
最近、AIを使って他人の写真を勝手に加工するという問題が起きている。警察庁も注意を呼びかけているけれど、例えばクラスメイトや有名人の顔を使って、服を脱がせたような画像を作ったり、それをSNSで広めたりする行為だ。もしかしたら、「ちょっとした悪ふざけ」や「技術への好奇心」でやってしまう人がいるかもしれない。でも、はっきり言っておくけれど、これは冗談では済まされない。人権侵害であり、場合によっては犯罪になる行為だ。
想像してみてほしい。もし自分が、あるいは自分の大切な人が、そんな風に加工された画像を世界中にばら撒かれたら、どう感じるだろうか。胸が張り裂けるような思いがするんじゃないだろうか。そしてデジタルの世界には「デジタルタトゥー」という言葉がある。一度ネットに流れた画像は、コピーされ、拡散され、完全に消すことはほとんど不可能になる。まるで入れ墨のように、その傷跡はずっと残り続けるんだ。
AIは包丁のようなものだと言えるかもしれない。美味しい料理を作って人を幸せにすることもできるけれど、使い方を誤れば人を傷つける凶器にもなる。君には、その包丁を正しく扱う料理人であってほしいと僕は願っている。
君の言葉はどこから来たのか
学校で読書感想文やレポートの宿題が出たとき、AIに書いてもらえば楽だろうな、と思うことがあるかもしれない。気持ちはわかる。僕だって締め切りに追われているときは、誰かに代わりに書いてほしいと思うことがあるからね。
でも、文部科学省のガイドラインでも言われている通り、AIが作ったものをそのまま「自分の作品です」と言ってコンクールに出したり、宿題として提出したりするのは、基本的にはナシだ。それは、マラソン大会でタクシーに乗ってゴールするようなもので、君のためにならないし、フェアじゃない。それに「著作権」というルールもある。AIが作った文章や画像が、既存の誰かの作品にそっくりだった場合、知らず知らずのうちに誰かの権利を侵害してしまうリスクもあるんだ。だから、AIを使うなとは言わないけれど、あくまで「相談相手」や「壁打ちのパートナー」として付き合うのがいいかもしれない。アイデア出しを手伝ってもらったり、自分の書いた文章を添削してもらったりする。あくまで、主役は君で、AIは脇役だ。
指揮者になるということ
ここまで少し脅すようなことも言ってしまったけれど、僕は未来を悲観しているわけじゃない。むしろ、君たちの未来はとてもエキサイティングなものになると思っている。これからの社会で求められるのは、AIと敵対することでも、AIにひれ伏すことでもない。AIという強力なエンジンを使いこなす「運転手」や、オーケストラをまとめる「指揮者」のような能力だ。文部科学省も、これからは「情報活用能力」が大切だと言っている。それは、AIの仕組みを知り、リスクを理解した上で、自分の目的のためにうまく道具として使いこなす力のことだ。
AIは、膨大な知識を持っているけれど、意志を持っていない。 「何をしたいのか」 「何を知りたいのか」 「どう表現したいのか」 それを決めるのは、いつだって人間の、つまり君の役割だ。AIが計算やデータ処理といった「作業」を肩代わりしてくれる分、君はもっと人間らしいこと、例えば「問いを立てること」や「他者の痛みを想像すること」、そして「心を動かすこと」に時間を使えるようになるはずだ。それはとても素敵なことじゃないか。
風は未来へ吹いている
僕が子供の頃、未来はもっと遠くにあって、少しぼんやりとしていた。でも今の君たちの目の前にある未来は、AIという加速装置がついている分、ものすごいスピードで迫ってきている。不安になることもあるだろう。新しい技術はいつだって、期待と同じくらいの不安を連れてくるものだ。
でも、大丈夫。 君が「これは道具だ」と理解し、画面の向こう側にいる生身の人間への想像力を失わなければ、AIはきっと君の可能性を大きく広げてくれる最強の味方になる。
大切なのは、AIに使われるのではなく、君がAIを使うこと。 そして、どんなに便利な世の中になっても、最後に判断し、責任を持つのは自分自身だということを忘れないことだ。

