昔と今、僕たちの「秘密」のありかについて

 少し昔の話をしようか。君が生まれるよりも、もう少し前のことだ。
 その頃の世界は、今思うと少しばかり「オープン」すぎたのかもしれない。例えば、卒業アルバム。そこにはクラスメイト全員の住所や電話番号が、当たり前のように掲載されていたんだ。誰でもその気になれば、好きなあの子の家に電話をかけることができたし、さらに言えば、その名簿がインターネットなどなかった時代に、業者によって売買されたりもしていたらしい。

 それだけじゃない。電話機で「104」という番号にかけて、「〇〇町の〇〇さん」と名前を告げれば、オペレーターが見ず知らずの他人の電話番号を教えてくれるサービスさえあった。町中には「ハローページ」という分厚い本があって、そこには住民の電話番号と住所がずらりと並んでいたんだ。学校や会社の健康診断だってそうだ。プライバシーなんて言葉がまだ市民権を得ていなかったのか、結果は筒抜けだったりした。就職の面接で「血液型は何型?」「どんな思想を持っているの?」なんて、今では絶対にアウトな質問が、平然と飛び交っていた時代もあったと聞く。

 どうだろう。今の君たちの感覚からすれば、背筋が凍るような話じゃないかな? まるで、鍵のかかっていないガラス張りの家に住んでいるようなものだ。でも、時代は変わった。僕たちは「個人情報」という、とてもデリケートで大切なものを守るための鍵を手に入れたんだ。今日は少し、その鍵の使い方について、一緒に考えてみたいと思う。

君を君たらしめる「鍵」の話

 そもそも「個人情報」って何だろう。 名前? もちろんそうだ。でもそれだけじゃない。名前と住所、あるいは名前と生年月日、これらが組み合わさることで「君」という個人が特定される。それが個人情報だ。

 現代の鍵はもっと進化している。君がスマートフォンを開くときに使う指紋や、顔認証のデータ。あれらも立派な個人情報だ。君の身体そのものが、デジタル世界への鍵になっているわけだね。

 それから、もう少し慎重に扱わなければならない情報もある。「要配慮個人情報」と呼ばれるものだ。 例えば、病気の治療歴や健康診断の結果、あるいは犯罪の被害に遭った事実などがこれにあたる。なぜこれを特別に区別するのかといえば、もしこれが不当に広まってしまったら、差別や偏見の原因になりかねないからだ。 誰もが知られたくない、あるいは知られることで不利益を被るかもしれない「秘密」は、法律という強い金庫で守られるべきなんだ。

「無料」という言葉の甘い罠

 さて、君はスマートフォンでゲームをしたり、便利なアプリを使ったりするだろうか。 「このアプリは無料です」「便利です」。そんな言葉に誘われて、ダウンロードボタンを押す前に、少し立ち止まってみてほしい。

 そのアプリ、君のスマートフォンの中にある電話帳や写真データへのアクセスを求めてきていないかな? 世の中には、便利なふりをして、裏でこっそりと個人情報を抜き取ったり、通信を盗み見たりする悪意あるアプリも存在する。

 あるいは、オンラインゲームで「レベル上げを手伝うよ」なんて甘い言葉をかけられて、IDやパスワードを教えてしまったことはないだろうか。その結果、アカウントを乗っ取られたり、勝手に課金されたりするトラブルも起きている。 「タダより高いものはない」なんて古いことわざがあるけれど、デジタルの世界では、その代償は君の大切な情報かもしれないんだ。

写真一枚が語りすぎる物語

 SNSに写真を投稿するとき、君はどんなことに気をつけているだろう。 楽しかったパーティーの写真、あるいは旅行先の風景。 でも、その写真に「位置情報(GPS)」がついたままになっていないかな? 瞳の中に映り込んだ景色や、窓の外の風景から、君の居場所が特定されてしまうことだってある。

 それに、一緒に写っている友達の許可は取っただろうか。君にとっては「良い写真」でも、友達にとっては「見られたくない写真」かもしれない。 一度インターネットの海に流してしまった情報は、完全に消し去ることがとても難しい。デジタルタトゥーなんて言葉もあるけれど、その投稿が、将来の君や、大切な誰かの足を引っ張ることになるかもしれないんだ。

データは「悪者」じゃない

 ここまで少し怖い話をしてしまったけれど、個人情報やデータそのものが「悪」というわけじゃないんだ。 包丁がおいしい料理を作る道具にもなれば、人を傷つける道具にもなるのと同じで、使い方の問題なんだと思う。

 例えば、病院での治療データ。名前などを消して、誰の情報かわからないように加工されたデータは、新しい薬の開発や医療の発展に役立てられている。 ポイントカードの履歴だってそうだ。お店は君が何を買ったかを知ることで、君が好きそうな商品を仕入れたり、おすすめを教えてくれたりする。

 僕たちの生活がこれだけ便利で豊かになったのは、適切に使われたデータのおかげでもあるんだ。

未来の君へ

 昔の「オープンすぎる」時代から、僕たちは多くの失敗を経て、ルールを作ってきた。 「個人情報保護法」という法律は、単に情報を隠すためだけにあるんじゃない。データの便利さを活かしつつ、君たちの権利や利益を守るためにあるんだ。

 これから君が大人になって、社会に出るとき、君は誰かの個人情報を預かる立場になるかもしれない。そのときは、どうか思い出してほしい。 そのデータの一つひとつには、生身の人間がいるということを。

 情報のドアには、しっかりとした鍵をかけること。でも、必要なときにはそのドアを開いて、社会の役に立てること。 そのバランス感覚こそが、これからの時代を生きる君たちに必要な「教養」なのかもしれないね。

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