秋田の未来を考えるための「ナマハゲ」考

雪の夜の訪問者、ナマハゲに怯えた少年時代の

 僕が「ナマハゲ」と聞いてまず思い浮かべるのは、大晦日の夜に、荒々しい姿で「なぐこはいねーか」(泣く子はいねえか)と叫びながら、家に上がり込んでくる、あの迫力満点の光景だね。
 もし、本当に、事前の予告もなくいきなりナマハゲが自宅に入り込んできたら、誰だって怖くて腰を抜かすに違いない。

 でもね、そのナマハゲの伝統が、今、ひっそりと揺らぎつつあるらしいんだ。

 伝統行事を支える「担い手」が不足しているって話も聞く。本来は地域の未婚男性が務める習わしだったのが、若者が減って高齢化が進み、今では70代の方が務めることもあるそうだ。人見知りだし、普段から大声を出すことを好まない僕なんかは、ナマハゲ役には絶対に向いていないね。

 だから、伝統を守ろうと、地元ではいろいろな努力をしている。「ナマハゲ伝導士」なんていう資格を作って文化を継承しようとしているという話も聞いたことがある。でも、伝統を守るって、本当に難しい。現代の生活習慣の変化で、ナマハゲの訪問を断る家が増えたり、そもそもナマハゲの「需要」自体が少なくなったりしているそうだ。

 例えば、ナマハゲが家に上がるには、当然、事前に家族(大人)の承諾を得ているはずだ。そうじゃなきゃ、いきなり入ってきて暴れられたら大変だからね。それに、おもてなしとして昔は餅や酒を供していたものが、今はほとんどお金(御祝儀や餅代)に変わっているらしい。

 時代とともに、文化の形も変わっていくものなんだね。この秋田を代表する文化が抱える課題を深く覗き込むことが、もしかしたら君たち若者が秋田の未来を考える上で、何か面白いヒントになるかもしれないよ。

怖いだけじゃない!ナマハゲは、実は怠け者を叱る「山の神様」

 ナマハゲの見た目が恐ろしいから、つい「鬼」だと勘違いしちゃう人も多いと思う。角が生えて、藁の衣装(ケデ)をまとって、出刃包丁を振り回しているんだから、無理もない。

 ところが、これがまた大間違いで、ナマハゲは鬼なんかじゃないんだ。あれは、山の神様の使い、あるいは化身である「来訪神」なんだよ。年の瀬に、厄災を祓い、新しい年の豊作や無病息災をもたらすために、遠い異界(常世)からやってくる、ありがたい存在なんだ。

 じゃあ、なんであんなに恐ろしい格好をして、包丁まで持っているのか。これこそが、ナマハゲの語源に隠されている秘密なんだ。雪深い冬、農閑期に仕事もせずに囲炉裏やこたつにばかり当たっていると、手足に低温火傷の赤いまだら模様ができる。これを地元の方言で「ナモミ」(あるいは火斑)と呼ぶんだね。ナモミは「怠け者の証拠」とされている。だからナマハゲは、この怠け心からできたナモミを「剥ぎ取る」ためにやってくるんだ。

 つまり「ナモミ剥ぎ」が訛って「なまはげ」になったというわけだ。包丁はナモミを剥ぐため、桶はそれを入れるための道具なんだって。

 怠け心を戒め、新しい年に向けて勤勉であれと諭してくれる。ナマハゲは、僕たち人間の心についた埃を払い落としに来てくれる、実に親切な神様なわけだ。

 ちなみに、彼らが身にまとう藁の衣装「ケデ」から自然に落ちた藁は、魔除けや健康のお守りとして縁起がいいとされているよ。無理に引っ張っちゃダメだ、ご利益が抜けちゃうからね。

現代のナマハゲは戸口で立ち尽くす?〜変わりゆく伝統のカタチ

 この大切な教えを伝えるナマハゲ行事だけど、現代社会の波には逆らいきれない部分もある。
 まず、行事の衰退の大きな原因は、担い手不足だけじゃない。ナマハゲが訪問する家の方にも事情があるんだ。

 畳の部屋がない、土足で上がられると家が汚れる、子どもが怖がるのが可哀想—そんな理由で、訪問を拒否する家庭が増えているらしい。ひどい話になると、ナマハゲの行事が「児童虐待だ」なんて意見まで出てきているというから、驚きだ。極めつけは、「大晦日は紅白歌合戦を中断されたくない」なんていう、現代ならではの理由もあるそうだ。ふむ、これもまた一つの真実だろうね。

 その結果、ナマハゲの方が気を遣うことが増えてしまった。昔ながらの作法を守る家はごくわずかで、玄関先で軽く済ませたり、優しく叱った後に子どもと歌ったりして機嫌を取ったりするナマハゲもいるらしい。時代とともに、伝統の厳しさが薄れ、ナマハゲもなんだか肩身が狭そうだ。

 伝統をどう守るか。これは秋田の大きな課題だよ。

 2018年には「男鹿のナマハゲ」を含む全国の来訪神行事がユネスコ無形文化遺産に登録された。これには「ユネスコ効果」といって、文化の存在意義が広く知られ、観光客が増えるというメリットがある。実際、ナマハゲ館には150枚を超える多種多様なナマハゲの面が展示されていて、一年中ナマハゲ文化を学べるし、毎年2月には「なまはげ柴灯まつり」という観光イベントも開催されて、多くの人が訪れている。

 でも、その一方で、伝統が「観光資源」や「見世物」として消費されて、本来の信仰や習わしが失われてしまうんじゃないかという寂しさも感じるんだ。

 芸術家の岡本太郎は、ナマハゲの原始的な力強さに感動したそうだけど、観光化によってその根源的な魅力が薄れてしまうことを懸念する声もある。

 最近、秋田空港で、雪の中を一人トボトボと歩く「野良のナマハゲ」が目撃されてSNSで話題になったそうだ。その哀愁漂う後ろ姿に、「仕事帰りか」「夜勤明けだ」なんてコメントが寄せられていたのは、ちょっとユーモラスだけど、もしかしたら、これは現代社会で奮闘する伝統の担い手の苦労を表しているのかもしれないね。

伝統の「ナモミ剥ぎ」が教えてくれる、秋田の未来への約束

 ナマハゲ行事は、雪深い男鹿半島の厳しい自然環境の中で、人々が「怠け心を戒め、勤勉に生きる」という共同体の規範を確認し、新しい年への希望と祝福を得るための儀式だった。
 現代の君たちが生きる世界は、昔と比べてずっと便利になった。でも、だからこそ、目に見えない「怠惰」や「不和」といった心のナモミを剥ぎ取ることの大切さは、変わらないんじゃないかな。ナマハゲは、僕たちに、健康に生きられること、日々の暮らしが自然の恵みの上に成り立っていることを思い出させてくれるんだ。
 伝統を元のままの形で継承することが難しい時代になったのは事実だ。担い手不足や、生活環境の変化は深刻で、簡単に解決できる問題じゃない。だからこそ、君たち若者には、ナマハゲという文化に込められた本質的なメッセージを、どう現代の秋田の未来に活かしていくかを考えてほしいんだ。

 観光は、文化を継承するための資金や注目を集める有効な手段だ。
 でも、ナマハゲを単なる「怖い鬼のキャラクター」として終わらせるのか、それとも「勤勉と感謝の精神」を伝える深い文化として、時代に合った新しい方法で発信していくのか。それは、君たち次第なんだ。

 伝統行事のナマハゲは、家を去る前に、家族に「新年によい人間であることを約束する」よう求めると言われている。君たちも、秋田の未来に対して、この「ナマハゲとの約束」を立ててみないか。まずは心のナモミを剥ぎ取って、この豊かな文化を「僕たちの誇り」として、胸を張って未来へ繋いでいこうじゃないか。

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