「もしもし」はどこか遠くへ行ってしまった

午後4時、ゲームショップの前に集合。あるいは、グローブを持って公園へ。 僕が君くらいの年齢だった頃、世界はそんなシンプルな約束で回っていた。スマートフォンなんて便利な代物は影も形もなくて、学校にいる間に放課後の予定をきっちり決めておかないと、途方に暮れることになったからだ。
休みの日はどうしていたかというと、これはもう、ちょっとした冒険だった。急に友達と遊びたくなったら、友達の家の固定電話にかけるしかない。そう、あの受話器がコードで繋がれている、一家に一台の電話機だ。 呼び出し音が鳴る間、僕は祈るような気持ちで受話器を握りしめていた。優しいお母さんならいい。でも、もしも怖いお父さんが出たらどうしよう。「あ、あの、〇〇君いますか」と声を震わせながら名乗る緊張感は、今でも昨日のことのように思い出せる。
時は流れて、今の僕はどうだろう。 仕事中は、MicrosoftのTeamsというアプリを使って、一日にとんでもない数のメッセージをやり取りしている。まるで情報の洪水を泳いでいるみたいだ。
だからその反動なのか、プライベートになると僕は貝のように口を閉ざしてしまう。 LINEすらほとんど使わない。特定の少数の相手と、必要最低限のショートメッセージを交わすだけ。デジタルの波に揉まれすぎて、プライベートではあまり画面越しのやり取りをしたくないんだと思う。むしろ、顔を見て話す方がずっと気楽だとすら感じる。
そんな「デジタル疲れ」気味の僕の耳に、最近、面白いニュースが飛び込んできた。 どうやら今の若者たち、つまり君たちの世代は、僕らが当たり前だと思っていた「連絡の常識」とは全く違う場所にいるらしいんだ。
インスタグラムは名刺代わり?
君は、初対面の人と連絡先を交換するとき、どうしているだろうか。 僕なんかは「とりあえずLINE交換しようか」なんて言ってしまいそうだけれど、どうやらそれは少し「重い」らしい。
ある調査によると、今の若い世代にとってLINEは、家族や恋人といった「関係性が深い相手」との連絡手段なんだそうだ。じゃあ、まだそこまで親しくない相手とはどう繋がるのかというと、Instagramらしいね。Instagramのアカウントを交換するのは、挨拶の延長線上にある行為で、もはや「名刺」のようなものだと言われている。相手がどんな投稿をしているか見れば、なんとなく人となりが分かるし、気に入らなければそっと距離を置くこともできる。
もっと面白いのは、「Instagram以上、LINE未満」という絶妙な関係性があることだ。 DM(ダイレクトメッセージ)で軽くリアクションはするけれど、LINEを聞くほど踏み込んだ関係にはなりたくない。そんな「ほどよい距離感」を保つために、君たちはとても繊細にツールを使い分けているのかもしれない。 大人の僕から見れば「ややこしいな」と思うけれど、それは同時に、相手を傷つけず、自分も傷つかないための、とても洗練された知恵のようにも思えるんだ。
沈黙する電話と「タイパ」の時代
それから、もう一つ驚いたことがある。 君たちの世代には「電話が怖い」と感じる人が少なくないらしい。あるデータでは、20代の約6割が電話対応に苦手意識を持っているという。 僕が子供の頃、怖いお父さんが出るのが嫌だったのとは少し訳が違う。君たちが電話を避けるのは、自分の時間を、あるいは相手の時間を「拘束」してしまうからだそうだ。
「タイパ」という言葉を君は知っているかな。タイムパフォーマンス、つまり「かけた時間に対する満足度」のことだ。 映画を倍速で見たり、ネタバレを確認してから作品を見たりするのも、この「タイパ」を重視するからだと言われている。限られた時間の中で、失敗したくない、効率よく楽しみたいという気持ちは、情報過多な現代では当然の防衛本能かもしれない。
電話は、相手の時間を強制的に奪う。だから、テキストメッセージの方が親切だ、と考える。 実際、仕事でもプライベートでも、電話よりメッセージでのやり取りを好む人が9割に達するというデータもあるくらいだ。
さらに驚くべきことに、電話に出ても「もしもし」と言わずに、相手が話すのを待つ若者が増えているという話も聞いた。知らない番号からの電話は詐欺かもしれないし、そもそも「もしもし」なんていう定型句に意味を感じないのかもしれない。
僕らが当たり前に使っていた「もしもし」という言葉は、いつの間にかどこか遠くへ行ってしまったようだ。それは少し寂しい気もするけれど、マナーというのは時代とともに変わっていくものだから、僕がとやかく言うことではないんだろうね。
繋がりすぎる世界での「切断」への憧れ
でも、不思議なことがある。 これだけ効率や「タイパ」を求めて、面倒な電話を避けているのに、君たちは「繋がり」そのものを拒絶しているわけではないようだ。 むしろ、SNSを通じて常に誰かと繋がっている状態が当たり前になっている。
ただ、その繋がり方にも変化が起きているらしい。 AIが作った完璧すぎる画像や、おすすめ欄に流れてくる大量の情報に、みんな少し疲れ始めているのかもしれない。「AI疲れ」なんて言葉も聞くようになった。その反動で、加工していないリアルな日常を共有するアプリや、本当に親しい友人だけのクローズドな空間でのやり取りが見直されているそうだ。
広く浅く拡散するよりも、狭くても深い信頼関係を築きたい。 そう考えると、君たちがやっていることは、僕が昔、怖いお父さんに怯えながら友達の家に電話をかけていたことと、根っこの部分では変わらないのかもしれない。 誰かと繋がりたい。でも、傷つきたくないし、相手の迷惑にもなりたくない。そのジレンマの中で、君たちは君たちなりの最適解を探している最中なんだろう。
波に揺られながら
僕のようなおじさんが「最近の若者は電話もできない」なんて嘆くのは簡単だ。でも、それはちょっと違う気がする。 僕が子供の頃、ポケベルや携帯電話が登場したとき、大人たちは「文字だけで会話なんて、心が伝わらない」と眉をひそめたものだ。でも僕たちは、文字の中に精一杯の感情を込めていた。 今の君たちも同じだ。スタンプひとつ、「いいね」ひとつに、相手への気遣いや、距離感の調整という繊細な感情を乗せている。
君たちの将来には、今よりもっと進化したツールが登場しているだろう。AIが代わりに返信を書いてくれる時代が、もうそこまで来ているのかもしれない。でも、どんなに便利な道具ができても、「誰かと分かり合いたい」という気持ちや、「この距離感でいいのかな」と迷う気持ちはなくならないはずだ。
もし君が、電話が苦手で、SNSの通知に疲れを感じているとしても、それは君が弱いからじゃない。ただ、環境が変わっただけだ。 だから、無理に「電話に慣れなきゃ」とか「もっとうまくコミュニケーションを取らなきゃ」なんて思い詰めなくていい。
仕事ではTeamsの通知に追われる僕が言うのもなんだけれど、たまにはスマホを置いて、公園のベンチで風の音を聞くのも悪くないよ。そこには「既読」も「未読」もなくて、ただ穏やかな時間が流れているだけだから。
大切なのは、ツールに使われることじゃなくて、自分が心地よいと思える繋がり方を見つけることだ。それがLINEでも、Instagramでも、あるいはいつか懐かしくなってかける電話でも、君が選んだ方法が、その時の君にとっての正解なんだと思う。
さて、そろそろ僕もスマホを置いて、散歩にでも行こうかな。 誰にも連絡せず、誰からも連絡が来ない時間を楽しむためにね。

